それは、ある日フラメンコのパフォーマンスを見に行って夜遅く帰ってきた日のことだった。キンキンした声を出して吠える犬。その声が次の朝まで止むことがなかった。
眠れるだろうかと思ったけれど、気になりながらも眠りに落ちたが、結局朝も早く目が覚め、犬の声が引き続き聞こえる。すぐに私服に簡単に着替え、外に出て確かめに行ったのは7時前だった。はじめは、遠くの方で聞こえる気がしていたので、道に出るべく歩いて行ったけれど、よく耳を澄ませると、まさかの自分のコンドミディアムの一室から聞こえてくるようだった。方向を変えてそちらへ歩き出すと、一階の角の家に住む年配女性が半分パジャマで出てきた。
「聞いた、犬の声? ゆうべの9時から泣きっぱなしなのよ。今朝気になてまだ泣いているから温かいパンツをはいて外に出たら(この日の朝は摂氏5度)、どうも同じコンドから聞こえるじゃない。子犬がベランダに出しっぱなしにされているのよ。」という。
え??と思って、「もしかして2階?」と聞くとそうだという。あの犬だ!とすぐわかった。同じ階に住んでいる同じく年配の男性は一人暮らし。でも最近以前飼っていた犬が亡くなって、新たにミニヨークシャーテリアの子犬を飼った。その犬は前の犬と違ってすごくやんちゃというか、よく吠えているなあというのは日常茶飯事だった。
高齢者の飼い主の男性はよく廊下ですれ違ったり、私が帰ってくる時間や、出勤に行く時間帯に犬の排泄をさせるために必ず出ていたので、軽い挨拶もすれば、ちょっとした話もする感じだった。ところが最近見なくなったなあという感じは明らかにあった。
しかも、2週間ぐらい前だろうか、こちらなりのヒートワーニング警報がでている大変暑い日に、ダーリンの仕事場の駐車場近所に止められたある車から、キャインキャインと一生懸命泣き叫ぶ犬がいて、まさか「あの犬では」とダーリンも半信半疑に思ったという。車は本当にちょっとしか窓が開けられていない。とりあえずセキュリティーの人に声をかけたダーリン。結局、ダーリンのみならず、いろいろな人が気になっていたので(ほんとに命を落としてもおかしくない車内の暑さ)、オーナーが呼び出されたかなんかして帰ってきた。エマージェンシーホスピタルから出てきた飼い主は、ほぼ間違いなく同じフロア―の彼だったと確信したとダーリンは言う。何か体調が悪かったに違いない。それにしても、なのだけれど・・・。
とにかく私は急いで彼の部屋のドアをノックしに行った。すると「今忙しい。」と声が聞こえた。「ねえ、あなたのワンちゃんがベランダに置き去りにしているけど、あなた大丈夫?」と聞くと「Okay, 今忙しいんだ」とだけ返ってきた。
その後1時間半が経ち、こういう時はHumman Societyというところに電話をするのが一つのオプションだというが、営業時間外であること、警察に行ってもいいけど、もう一回ドアをたたいて確認してからにしよう、などいろいろ考えていた。で、結局ドアをたたきに行った。 2回目、同じようにノックすると、「誰だ」と声。名前を言って、「大丈夫?」と確認。「Okay、今忙しいんだ」とまた言う。「ワンちゃんを中に入れたら?夜通し泣きっぱなしだったよ。誰かが警察かなんかに連絡する前に。」と伝えると「Okay」という。部屋に戻っても、もう枯れかけた声でそれでも泣こうとする犬の声が一向にやまないのを聞くと、彼は犬を部屋に入れる気配はない。
ビルのボードメンバーの責任者にイーメールをしたけれど、返事は月曜日まで来ないことは分かっていた。とりあえず、ここまでが私がやるべきことで、とりあえずHumman Societyが開く時間の正午まで待ってみて、まだ犬が泣いているなら、そこに電話をしようと思っていた。
ダーリンもやっと起きて、恒例の朝のマラソンに出た。物の何秒かでまたドアを開けて私に言う。「どうやらだれか警察に連絡したようだよ」と。気になって私も部屋から出てみると、救急車が呼ばれ、タンカーが廊下に置かれていた。パラメディックの職員がエレベーターから一人出てきて彼の部屋へ入っていくのを見た。
ダーリンが見たのは、ポリスが来て、彼の部屋のドアをこじ開けていたということ。体調も悪く、寝たきりだったのだろうか。奥さんもいなくて、息子さんが一人、何年か前に車事故で確かお亡くなりになっていて、孫息子さん家族とよく会っているような話をしていたのだけれど、最後は誰の手も借りずにいようと思ったのか。なかなかわからないけれど、とりあえず犬の救助はされたようだった。
窓を閉めてしまうか、部屋が反対側に面しているかしていれば、まったく聞こえない犬の声だったけれど、私のように窓を開けて、夜通し痛々しい鳴き声を聞いて眠った近所の人々はもっといたはず。カナダではある一定の年齢を越すと、新たに犬を売ってはもらえないというようなことを聞いた。だとすると、お孫さん名義で買ったのか。
それにしても、あのワンちゃん、ご主人の不調を訴えようとしていたのかもしれない。ほんとに小さい犬なのに、何時間も何時間も、時々休みながら吠え続けた体力と生命力が泣ける。でも、もっと早く何とかするべきだったかもしれない。一方で、この子犬、なかなか手がかかるようで、老人でなくてもやんちゃで吠えてばかりいて、ちょっと大変そうな感じだったことはある。ヨークシャーテリアの性格だという人もいるけれど。
ちょうど彼の向かいの部屋には「かわいぶさいく」なブルドッグを飼っている若い女性がいる。このブルちゃん、私が車を出したり、帰ってくるとベランダから必ず低い声で「ブワン」と泣いて挨拶してくれる。名前をよぶと、本当にかわいく見つめて、また遠くを見て、ビルに入るまで私を見送るかわいいやつ。
動物を飼うのは本当に大変なことだから、私はご近所の犬と知り合いの犬なんかでやっぱり今のところ軽く過ごす。
また一週間💛