悪い癖というか、重い腰を持ち上げるのが本当におっくうになる事の一つに、フィナンシャル系のアポイントを取ったり、いろいろ計画を立てたり、と言う事がある。例外なくやっと行動に移って銀行のアポイントメントを取ったところ、なかなか楽しい経験をしたのでそれについて書いて行こうと思う。
お金についての知識や意識というのをちゃんと身に付けていない私は、英語で話さなくてはならないと言う事も加わって、いつも後回しにしてしまう銀行関係のことなのだけれど、数年前から相手をしてくれている職員の男性は、私の無知さに付き合ってくれる辛抱強い人で(たとえそれが仕事だからという理由でも)、終わった後に「よかった」と思えるような対応をしてくれていた。その彼に勧められたあるプランがあったのだけれど、いいプランだから進めたいと思ってはいたのだが、いつもならがらぐずぐずしていて早半年、アポを取る腰が上がらなかった。そして数か月前、その人ではない別の人でJohnという職員からメールで連絡が来ていて、以前勧められたあるプランと同じようなことを勧められていた。で、やっと先日アポを取っていざバンクへ。Johnという男性は、かなり若い金髪で青い目の青年だった。
24歳だというJohnは、とてもおしゃべりだけれど、プライバシーに突っ込むような質問はなく、お互い軽いトピックが沸き上がってきてそれについて「あーわかる」みたいな感じで、会話が進んでいったのだった。案外これがセールスにはもっとも重要な要素なのかもしれないけれど。そしてこういう時というのは、不思議とスムーズにいく雰囲気というか波長というかを自然と感じるもので、どこかお互いまっさらなときに起こるような気がする。大変抽象的な言い方かもしれないけれど、そういうのを後から思い出すと感じたのだった。
とにかく、どこかあぶなっかしさも純粋さも見え隠れするような24歳の彼の前で、「おばさん」の私は、結構リラックス。彼はロシア人だけれどもウクライナから来た両親を持ち、私が来る前にはロシア人の祖母と電話で話していたのだという。「ババ」とロシア語でいうのだそうだが、日本語と似てる!と思って内心驚いていた。
そして話しているうちに、たいていのカナディアンとはタブーであるトピックに触れた。ロシア、カナダ、USA、と言えばポリティカルの話だと分かると思うけれど、私がカナダ人ではないと言う事で彼も日頃思っている正直な気持ちをポロリはいてしまったという感じだろうか。いや、見かけも教育も、彼は全くカナダ人でそれに疑いを持たなくてもいいぐらいなのに、「カナダは嫌いだし、僕の父は元戦士でカナダの軍隊として戦った身で、カナダ政府のことを特に嫌っているよ」と言う事だった。彼の彼女はロシアから来ているのだけれど、ロシアに帰りたいと言う事で、帰ることになったという。
ウクライナから来ていても「ロシア人」であるという人は結構いるわけだけれど、その人たちが声を潜まずして「私はロシア人、ロシアが好き」と言いにくい世界になっていると言う事はやっぱりある。その大きな原因は、偏ってコントロールされた情報しかながさないメディアだろう。ほとんどのカナディアンはそれを信じている。この面でいえば、USAはまだ、賛否両論を聞くチャンスが残されている分だけましと言えるかもしれない、とダーリンがいつも言う。カナダは、とにかく反対意見をシャットアウト、ダーリンもよく見ていたRT(ロシアンテレビ)も放送禁止。
Johnは「僕は一般人が見るニュースは一切見たり聞いたりしなくなった」と、私が何か言う前に言い切った。「そうよね、うちもRTを見ていたんだけれど、カナダはその放送を禁止したりして、本当に一方の意見だけしか流さないようにしているものね。」というと、「全くその通り」と共感してきた。
ロシアがすごくいいとか、中国がすごくいいとは思わないけれど、アメリカは悪いと思う(政治的に)。と言う事に気づくようになったのも、政治オタクのダーリンのせいなのだけれど。カナダもこの2国(ロシアと中国)のことになるとものすごく否定的。なにか同じようなことを自国やヨーロッパでも起こっているとしても、あまり大きく取り扱わず、この2国で起これば大ニュースとなる。そうだけれど、どこの国民も悪くないという政治を抜いた対人間でいつもいないといけない。ここが簡単そうで難しい所だろう。だからメディアには気を付けなくてはならないよなあと思う。
とにかく、あまり熱くなり過ぎず、でも同感できる話で、「あら、こんな話を銀行に行ってするとは」と全く思いもよらない、ある意味楽しい時間となった、と言っていいと思う。そして思うに、彼は氷山の一角なんだろうなと。
それで思い出すのはやっぱり日本人キャンプに入れられた日本人、および日系カナディアンである。けれど、ここがまた国民性というか、「ガバメントはとても残酷だったわ」と言いながら、日本人の場合黙ってできることをして、這い上り、日系カナディアン2世、3世は自分のアイデンティティーをカナディアンとして生きている。もちろん戦時中の日本は貧しくて大変だったろうから、自国に帰れば親せき達は「カナダで生活していてお金に余裕がある」と勘違いを疑わず、彼らのしている苦労は理解されず、あまりいい思い出もなかったことだろう。当然、力のあるカナダの国民になる事を選ぶのはよくわかる気もする。そしてこの収容所キャンプに入れられた日本人のことは、まるで、罪滅ぼしとして当然とでも言われているかのように語られず、当の本人たちも汚点とでも思っているかのように語り継げないことが多い気がするのは間違っているだろうか。私はあえて、クライアントの日系2世である彼女に、差し支えない程度に興味の赴くまま聞いたことがあったのだった。
彼女の父親、および多くの日本人は、もともと漁業関係で移民してきたのだという。それが、キャンプに入れられた後、全ての持ち物(家具から洋服から何から何まで)を没収されて、貧しい生活を強いられる。病気になっても病院に行くにはキャンプからはとっても遠いところまで車で行かなくてはならないけれど、見張りの兵士に伝えたって、すぐには連れてってもらえず、結局ものすごく悪くなって命を落とすか、ものすごく待ったのちにラッキーなら連れてってもらえると言う事だった。
キャンプ場が解禁となった後は、さあ仕事を探さなければならない。みんな漁業から農業へ、全く知識のない一から始めるしかなかったという。ちなみに、このクライアントさんは、今ではカルガリーの超一等地のペントハウスの18階に住み、車は2台(そのうちの一台はテスラ)をもち、ハイクラスのご婦人なのだった。
銀行に戻ろう。この銀行の窓口職員の女性はいつも彼女の愛犬を連れてきている。ルナというらしいが、パメラ二アンでめちゃくちゃかわいく、誰が入ってきてもトコトコとどこからともなく来て笑顔(に見える)で寄ってきては数秒とまり、また戻っていく。今日もルナに迎えられ、送られて銀行を出た。24歳のロシア人の職員は、この先またいろいろ変わっていくんだろうなあと思ったり、本質は変わらないだろうと思ったり。この日この時の彼に出会ったのも貴重な体験だったと思える。
また一週間💛