常識:Common Sense

 Bragg Creakという近郊の街へドライブに行ったときの様子。左に見える防壁は新しく、2013年の大洪水の後、カルガリーとその近郊で被害にあったエリアが対策に勤めて出来上がった。

 さて、毎度夕食は何を作ろうかなーというのは、一応私も考え、そして行き止まるので、クッキング関係のYoutubeはありがたく拝見。Mikuniシェフもその一人☆彡 料理本も買わなくなり、ある本もめったに開かなくなったなあと思う。

 Mikuniシェフ。もともと彼のことを知らなくて見ていた。このおじさん、「我々プロは」とかすぐに解説するけど、風貌からか憎めない感じでかわいいし面白い、と思った。それに、彼の話はどうもいつも最後まできちっと説明されず、ほぼ最後を言わないで次の話題にとんでいたり、でも、よーく聞くと何となく最後を言ったかも、という感じだったり。それなのに、料理のみならずなんとなくひかれて見ていたのだけれど、そのうち大変有名なシェフなんだということを知ったのが一昨年前ぐらいだったと思う。 

 その彼のチャンネルの最近のアップが、コミュニケーションという題目の内容だった。「まずは挨拶だ!」とか、相手のことを考えて贈り物を選び忘れずにいつもギフトを送るという日本人ならではの習慣とかいろいろ。

 シェフの話を聞きながら、そういう日本人の考え方は、昔はユニバーサルなことかと思っていたけれど、かなり日本人特有の感覚なんだと後で知る。日本の職場で目を合わさないであいさつをすることなんてあるだろうか。あったらこれはすごい失礼にあたると思う。会社の休暇を取ってどこかへ行った後、手ぶらで出社する人はどのくらいいるだろう。ちょっとしたお菓子よりを免税品店で買ったりして持って帰るのは当然という風習がある気がする。

 お土産の面では、さすがこちらでは全く習慣ではないから、たまに人によってお土産を買ってくるレアな人もいるけれど、個人ではその人がお返しをしたりして負担になるようならピタっと贈り物も止まったり、しらーとスルーするのもありあり。

 我が職場の例で言うと、これは挨拶に関してだけれど、総員私を含め3人の少人数のデパートメントで、しかも3人そろうのは週に一度だけで、だいたいが2人の勤務体制になっているそのオフィス内で、朝の挨拶が背中越しでかえってくることは普通、という環境にいる。

 私の同僚であり相棒である同じTA(セラピーアシスタント)は今まで3度変わっている。3度といってもなぜか2人が交互に入れ替わっているという感じで今まで来ている。Aがもともといたが、学校へ戻って一度退職。Bがきた。Bは今子育て休暇中で、Aが職を探している所でちょうどよくもどってきた、という感じで。その2人がそろって同じ挨拶の仕方なのだった。二人とも似たような年齢で20代後半か30代前半。はじめは「どうやら朝からご機嫌ななめ?」と思ったのだけれど、どうもそうでもないということを後で知る。もちろん、「朝からなんでこう気持ちよく始められないんだろう」と不快に思ったことは何度もあったし、今でも、あまり好きではない。 ちなみにAは、以前は20代前半だったということもあり、この数年で社交性をもっと身に付け、私の思う礼儀見たいのことに関していえば、かなり変わった気がする。

 とにかく、背中越しであいさつすることは彼らにとっては普通のことで、例えばめちゃくちゃ上司に対して同じことをするかというと、それは疑問なのだけれど、とりあえず相棒はフルタイムで私より勤務の始まりが15分早く、レポートを読んでいるという作業をしているので、わざわざ手を止めてまで挨拶をするということはないわけである。で、ただそれだけの理由のようで、しっかりやるべきことが終わったら、普通に話しかけてくる。

 みんなこんな感じなんだと納得して、「気にしない」をモットーに慣れかけたころ、今でも交流のある、私の大好きな(というか、みんな大好き)OT(作業療法士)リンジィーが前任者のマタニティー&子育て休暇を埋めに雇われた。彼女は違った。思い切り明るく気持ちよく必ず振り向いて目を合わせて「Good morning」と言ってくれた。その時「あ、そうだよね。私の常識と近い人がいる」とほっとしたと同時に、週に一日しか会えない彼女の勤務する日がいつも楽しかったものだ。

 現在は元のOTに戻っているのだけれど、彼女とすごく気が合う方ではないと思っているけれど、挨拶に関しては相棒のTAに比べたら全く快い「Good morning」から始まる。この違いは何だろう、と不思議に思うが、日本のように、「挨拶ができない」から云々というややこしい感情問題にはつながらないようである。それこそ「人による」し、「その人のスタイル」ともいえる。挨拶が背中越しだからと言って、その人が周囲に気を使わない人かというとそういうわけでもなく、TAの相棒は、とてもよく空気を読めて、その空間に見習いで来ている生徒がいたとすれば、さっとその生徒が会話に入れる場を作るし、頭も気もフル回転している。だからここでは「挨拶がろくにできない奴はだめだ」という評価の基準はなく、また挨拶がよくてももっと大事にされるコミュニケーションの基準があるような気がする。ほんとに、日本の常識は全くユニバーサルではないと学ぶわけだ。

 それからいつも笑顔でいること、というのも日本では美徳と思われていると思う。私は以前、スペイン人のホセと彼のパートナーのリサと、私たちの4人で旅をしたとき、リサが5か国語ぐらいしゃべれて、私のわからない言語で何かについて誰かと話している時、とりあえず横でぶすっとしてても始まらないと、まあ「すまし顔」風に広角を意識的に上げて、礼儀正しく話が終わるのを待っている態度を取っていたつもりだった。するとホセが、「なんで君はにこにこしているの?」とものすごく不思議がって聞いてきた。まるでそれがいけないことのように。

 それ以来ホセが冗談で、リサが何か誰かと交渉しなくてはならない時(ホテルの従業員とか)、私も一緒に行って、私はとなりで「にこにこ」していればいい、と役割まで付け加えてきたものだった。

 それにしても、いまだにこういう時はどういう顔をしていればいいのか、と思う。自分では「普通の顔」をするとやたら怖い顔になることは分かっているから、半ばサービス業で培った、半ば天然であろうすまし顔をするのは認める。私からしたら、ぶすーとした顔でその場にいるよりよっぽどいいと思うのだけれど、これもまた、人によってとらえ方ってあるもので、ましてや国が違うとなるともっと複雑と学んだ。

 でもたまに、「お願い、日本の常識を学んで」と思う。いっつも西洋のほうに合わせている日本人ったら偉いし、またそうでないと、日本の常識で立ち望んでは損をする可能性のほうが高いのではないかと思う。多くの外国人が日本に訪れて、おもてなしやこぎれいさ、丁寧さに感動している様はいろいろ画像でも見るけれど、それでも言うまでもなく、まだまだ日本のことを知らない人々は世界に山ほどいる。私の周りなんて、日本を知っている人は一部しかいない。時に、若い子に、日本では残業が多く「過労死」が問題になっていて、自殺率も多くストレスフルな国と聞いているわ、と聞かれたことがある。すべてのデリバリーが予定道理着いて、商品も破損している確率も少なく、驚くほど便利用品にあふれ、電車と言えば時刻通りで、だいたい満足できるサービスがあるというかなりストレスフリーな生活を、どうやって説明できるだろう。

 それから、ここで日本人というと、どちらかというと、戦時中に日本人が捕虜となりキャンプ場に収集されたアジア人としての差別が残っている。「君は日本人かい?」という質問を白人にされた後、「あ、ごめん、僕がそう聞いたことを気にしないでほしい。」と謝られたことがあった。その人が一応人種差別用語にセンシティブになっていると言う事だけならありがたいが、でも実際そう聞かれて「屈辱感」を感じるのがカナダにいる「ジャパニーズカナディアン」なのであった。

 話はずいぶんそれたけれど、ジャパニーズカナディアンは別のアイデンティティーの問題があるとして、日本で生まれて日本人として縁あってカナダに住んでいるような日本人、または各諸外国にいる日本人は、この今までの日本人の価値観をずっと変わらずに心奥底に持ち続けれるだろうか。いやまて、私自身すでにかなり失っているものはありありだから、実は学びなおす必要性を感じているのではないだろうか。まったく、ただ生きているだけとは行かないもかな。

 また一週間💛