もうすっかり秋模様で、来週はカナダのサンクスギビングデイ。例年ではそろそろ雪が降ってもいいこのころに、まだ秋景色や雨が降るというのはうれしい。信号待ちしているときに雨雲が気になる空をパチリ。この後しばらくしてヒョウ交じりの雨が降った。
さてこの週末は去年から新たに決定された休日で月曜までお休み。本当は子育て休暇を取っている同僚の赤ちゃんを見に行く週末だったのだけれど、かなりの片頭痛持ちの彼女の体調が悪く延期となった。私ももともと片頭痛持ちではないのに、標高の高い所に住んでいると言う事はやっぱり体に多かれ少なかれ影響があると思う。多少の頭痛はマンネリとなった。とにかく赤ちゃんネタで行こうと思っていたこのブログを変更して、最近偶然面白いなと思ったことをちょっと。
ゆっくりではあるが、結婚移住の時に日本から持ってきた本たちを読み返しているなかで、「詩と真実」というゲーテの自伝書がある。ゲーテがヘブライ語を勉強している描写の中で、聖書の解釈が書かれている箇所があった。さらっと触れている感じもあって、例えば直接的に「バベルの塔」とは書かれていないのだけれど、わかる人が読めば何のことを言っているかわかる、という風な書き方である。
ちょっとそれるが、SpotifyというAppでは「Literature and History」というのがあって、おそらく100エピソードは超えているとは思うのだけれど、私はエピソード1をベッドタイムストーリーとして聞いている。よく寝れるので、まともに内容を全部把握して聞いたことがなく、エピソード3ぐらいまで軽くいってしまっていて目が覚めて消すというありさまなのだが、そのせいで、エピソード1の同じところをいつもよく聞いている。エピソード1は実にこのバイブルについてであり、バベルの塔について触れている。ホストのDoug Metzgerという人曰く、なんで神が人間に対して怒って、バベルの塔の完成を不可能にさせたのかという肝心な「なぜ」のところが、やっぱり明瞭でなくて、おそらくジェラシーもあっただろう、というようなことを言及していた。
一方ゲーテのほうは、Doug Metzgerの考えるジェラスや神の優越力の維持のためと思えるような後付けがはっきり明記されていた。それは、ノアの箱舟で有名な洪水の後、生かされた人間たちの運命は極めて神が定める通りになると言う事で、ばらばらの土地で種族を増やすことになった人間たちは、「認識を求めた場合安らぎを失う」と言う事だった。ちょっと難しい。「賢者でありながら幸福であると言う事は許されない運命だった」というのをどこかで見つけてやっとわかった。
肝心なバベルの塔との関係だけれど、このゲーテの本の中の解釈によれば、「種族が増えるにあたりばらばらに暮らしていかなくてはならなくなった人間たちが、非常に良い条件の土地を見つけて、そこに高い塔を作ればいつでも帰ってきて会えることができると考えた」ために創設が進んでいたという。そこで、だいたいどの解釈でも共通しているように、神は人間たちにばらばらの言葉を話させて混乱させて、この塔の完成を不可能にしたのであった。やっぱり何とか幸福にみんなが団結して暮らせるようにという考えが、神との約束、人間に定められた運命に背くものであったからだった。
とここまでなんとなく理解していた頃だった。YouTubeの「大人の教養」という山田五郎さんの番組で、バベルの塔が取り上げられていたのだった。見れば、ただ今日本に「小バベル」のブリューゲルの絵画が来ていると言う事ではないか!この番組では旧約、新約、ユダヤ古代誌の3つからの解釈を紹介しており、ユダヤ古代誌の解釈が一番ぴったりくるという感じだった。「ノアのひ孫が天まで届く高い塔を作って神に仕返しをしようとたくらんだため、神が怒った」。それで神は人々の言葉を多様化し建設を不可能にした、と。
ゲーテの本に載っていた解釈とは微妙に違うところは塔を建てた目的のなだけれど、これだけ色々な解釈があるということがすでに真実を知るには不可能、もしくはどう解釈してもそれがその人の腑に落ちればいいのかも、という気にさせられた。
日本にいたらぜひ見に行きたい展覧会だけれど、山田五郎さん曰く、意外に小さい絵画なので、この傑作品を十分に味わうにはネットで部分部分を乗せているのを見るのもいいかも、と言う事だった。もっとも展覧会でもある程度、絵画の部分の拡大を展示してもいると言う事だったけれど。素晴らしいな、日本。いろいろな国が日本への作品の貸し出しをしてくれる。もっとも日本で素晴らしいのはこの文化面であって、いろいろな面でやっぱり問題もあるだろうけれど。
芸術、文化鑑賞の秋。
また一週間💛