言いにくい話:Couldn't Say It Outlaud

 九月も後半というのに、まだまだ緑が残るカルガリー。いつもは雪がちらついたりしても珍しくないここアルバータ州だから、今年はなかなか過ごしやすい日々でよいよい。

 さて、今日のお話。100㎏以上あるRemi Baderという太めモデルでファッションインフルエンサーがある日乗馬農場で乗馬を断られたことにたいして苦情を訴えた。彼女を支持する200万人以上のフォロワーがツイートその他のSMSで共感と同情を現した。とその後、農場のオーナーがこれに反するビデオをアップすると、それに共感する人も負けずに表現した。 

 このネタを話しているYoutubeを見ているダーリン。そのチャンネルのホストは女性で、彼女自身はアンチフェミニスト、アンチ・・・うーーんなんというのだろう、男性の体を持って女性であるという人を女性と平等に扱うという考えのシステム?(例えば、そういう人は女性の更衣室を使えるとか、さまざまの競技で女性として参加する権利を持つとかそう言う事)には反対という人。かなりずばずばと意見を言っていた。

 とりあえずタブーとされていることとか、”差別”にあたるといってあまりにもおかしな平等性を訴えて、なんだかおかしなアメリカ(北米)社会だよね、と言う事をダーリンと話す。やっぱり馬も、あまり重すぎるのは負担だろうに。そもそもなんでそんなに大きな体の人が多いのか。病気というならば、これはやっぱり炎上するような発言は抑えるべきだろうけれど、どちらにせよ飛行機の一人座席に収まらないとか、機内のトイレが使えないというのはどうしょうもないことで、「もっと大きくするべき」と苦情を訴えるのはどうかと思う。

 飛行機で思い出す。NYへ去年行ったときだった。カルガリーからトロントに行って乗り換えなくてはならず、トロントまではドメスティックのフライトだった。何しろトロントのピアソン空港はかなり評判が悪いので、今回はチェックイン荷物を持たずに行こうという計画で、椅子の下に入れられるボストンバッグとキャリオンのスーツケース、それに小さな斜めがけにできるハンドバッグを持っていた。ところが、そのハンドバッグを1荷物と数えて注意してきたフライトアテンダントがいた。彼女は、ただでさえ狭い通路を、座席に体の一部を触れないでは通れないほど太っていた。悪いが、私にしたら、私の手荷物なんて小さい問題で、そんなことを注意するのならば、あなたの体をどうにかしてほしいと、私も炎上しそうになった。なにせこのフライト、ものすごい遅延で、本来乗るはずのコネクションフライトには乗れないと平気でいいながら、自分たちはちっとも悪くないという態度。日本のサービスでは考えられない人達なもので、私も初めからイライラしていたのだった。

 日本だったら、このような大きな体の人を採用する航空会社はないだろうが、こちらでは体の大きさで判断することは差別に当たるようだ。しかしながら、何か起きたとき、彼女のせいで飛行機からの脱出するのを送れると言う事だってあり得るわけで、セキュリティー上の問題だと思う。さらにアメリカで以前から思ってはいたが、NYPDなんて、たまにものすごいオーバーウェイトのオフィサーが拳銃をもって警備しているのを見るけれど、いざ何か起きたとき、あのような体でどうやって犯人を追いかけられるんだろうと思うこともよくある。これには同感してくれる人もいると思うが、とにかくおかしい。

 で、なんでこんな体の大きい人がいるんだろうという問いだけれど、ダーリン曰く、もちろん病気という人もいるだろうけれど、たいていの場合はこちらの不健康な食べ物に原因があるという。って、いまさら言う事もないけれど、その事実を忘れそうになる。そういうものしか買えないという人もいれば、それが習慣になってしまっているという場合もあるだろう。前者の場合、ときどきファーストネーションを見て思う。彼らは辺鄙な土地を政府から与えられ、新鮮な食料にありつけることが少ない人々もいる。ありつけたとしても、収入がそれほどないという人たちが多い中、若い人たちはスナック菓子でお腹を満たしたり、とにかく不健康な生活になりがちであり、多くの若者が、いわゆる肥満系だなーと思う。 

 肥満体系の人の中では、それでも何とかして痩せようと努力している人もいるし、やっぱり痩せられたらもっと生活が楽だろうから、いつか痩せられたらいいのにと心から思う。問題は、肥満であることもその人の権利として態度まで大きく訴えてくると言う、Shamlessな感覚が私には理解しがたく、そんなカルチャーに順応していく自分も怖い気がする。

 チョコレートをほおばりながら、幸福な時を過ごす。

 また一週間💛