この夏はこんなにフラメンコに触れる機会が増えるとは思いもしなかったが、8月は3週続けてパフォーマンスを見ることになった。
アーティストの世界はいいなと思う。フラメンコはギターリストを必要とし、コラボとなればその他の楽器を含めてさらにコンテンポラリーぽくなったり、ダンサーとミュージシャンのクリエイティビティ―が素晴らしい。そしてそこからどんどん広がっていくアーティストの輪や関係がちょっとうらやましい。
ダーリンと先々週行った、フラメンコダンサー件講師であるアナスタシアの家族が経営するバーへ、今度はクライアントのGを誘って行った。この日はペルシャの楽器、サントゥール奏者とベースギターとフラメンコギターのコラボをバックに二人の素晴らしいダンサーたちがそれぞれの激しく美しいフラメンコを披露した。
毎回チケットはソウルドアウトで満席。開いている席は2か所、ダンサーの真ん前にあたるバーの椅子か、奥のハイテーブルのどちらか。はじめはバーに座っていたのだけれど、なんとなく近すぎる気がして奥の席に変えた。その横には、何度か面識のあるクラスメイトが彼女の友人2人と来て座っていたので軽く挨拶。
パフォーマンスが始まる直前、Gが「この前のライト、消えてたらいいのに。(おでこに手で翼を作るように)こうしないと見れないわ」と指摘した。隣のクラスメイトや友人たちも「だよね」と同感だった。「そうね、じゃあ後でちょっと聞いてみるよ。」と私は言ったままアナスタシアのイントロダクションが始まっていた。
Gの手の翼はずっと続いていて、かなり居心地悪い。すると、「エックスキューズミー」と大きな声でGがアナスタシアに「このライト消すことはできないかしら」とダイレクトに訴えた。あたりの雰囲気はすでに、ショーが始まったという雰囲気だったから、私も驚いた。するとさらに驚いたことに、アナスタシアが「こちらの席が空いてますが」と先ほどまで私達が座っていたバーの席をさして言った。Gが負けずに、「それは分かっているけれど、このライト消せない?」とつづく。「席あいてますよ」と譲らないアナスタシア。かなり気まずく緊迫の雰囲気が漂ってしまった。この意見は隣の席の人も同意していたはずなのに、助けの声も出ず、なんとなくGだけの意見となってしまって、Gも言葉にならないその気持ちを目で私に伝える。
その間、周りのスタッフのほうがバックに行ってライトのほうをいじってくれていて(感謝)、その後すぐに、「こっちを消すか、またはこちらの方を消すかどちらかしかできません。ここは非常口近辺なので明かりはある程度つけないと」と言ってきた。私達の目の前を照らすライトが消せれば問題なかったので、「あ、これなら大丈夫です。ありがとう」と私も伝える。するとやっと隣の席の人たちも「かなり良くなったよありがとう。」と賛同。”Good Call!”(いい指摘だったよ、みたいなニュアンスかな)とGに半ば感謝した。
もちろん一部始終、すべての客とパフォーマーたちがこのはっきりと緊迫の、できれば避けたかったムードの中にいたのだが、さらに最後、Gがまたしても普通に聞こえるように「彼女はこれで私のことを嫌いになったと思うわ」と捨て台詞をはいたのだった。もちろんアナスタシアには聞こえている。彼女はこれからパフォーマンスをする張本人。私は半分内部者で、前回「ニュースチューデント」と紹介までされたから、かなり気まずい気分であった。Gには初めてのフラメンコでよい経験をしてほしかった。ライトで見ずらいとなればその良さも半減してしまったであろう。けれど、これからパフォーマンスをするという人は、ものすごい集中力が必要だから、イントロダクション中にそれを遮るように話しかけてくる客など全く予想外だったろうし、彼女の気持ちもわかる。
集中して心を正常に戻すのに5分から10分はかかったと思う(私)。しかし幸いにして、今までよりいっそう素晴らしいパフォーマンスだったために早めに忘れることができた。思うに、アナスタシアもほかのパフォーマーたちも、こういうことがあると、そんなことに負けるものかと逆に団結し、そしてフラメンコは特に感情を出せる踊りだから、怒りなんかあればそんなものも踊りで出し切ることができる。要するに、この一件をプラスのエネルギーに変えたのだと思う。現に、私の見た今までの3つのパフォーマンスの中では最高だった。いまいち心と体が一致していない時、それの原因が何であれ、それは見ている側に分かるほどパフォーマンスには影響するものであり、実際2回目の野外での彼女のパフォーマンス(冒頭の写真)は、なにか物足りなかった。
何かとイベントフルなGは、この日急にアメリカはワシントン州に住む息子ファミリーが9時間の運転をかけて夜11時ごろ彼女宅へ着く予定になったという。家には彼女しかいなかったので、彼らが着く前に家に帰らなくてはならなくなった。なので、10時近くなってまだパフォーマンスがやまなかったのだが、私たちは後ろの出口から会場を後にした。Gと出かけると言う事と、彼女に見せてあげたかったと言う事が第一の主旨だったからちょっとでも彼女が楽しめればそれでよかったけれど、それぞれのパフォーマーたちに挨拶をせずに途中退席することにはやっぱりちょっと悔やまれた。特にFionaという、ベルリンから来ているゲストのダンサーは、私のことを「マイスチューデント」と呼んでくれて、野外パフォーマンスの時に連絡をくれて、さらに気楽に「ビデオを撮ってもらえない?」と誘ってくれて、最前列の彼女のお母さんの隣に座らせてくれたり、この日もショー前には笑顔でハグをしてくれた。ベルリンに帰る前にせめて最後あいさつしたかったな、という心残りはあったものの、Gも突然のファミリーの計画だったようで、悪いなーという気持ちがあることもよくわかっていた。
と、まあ相変わらず、人にどう思われようとまったく気にしないという素晴らしい彼女(G)とのデートナイトだったわけだが、この一部始終をダーリンに夕飯時に話す。するとダーリンが黙って聞いてしばらくたってかなり納得していった。”It is called self confidence. It is very important for a person to success in their life or buisness" 「これは自分に対する自信という例だよ。人生やビジネスで成功するためにはとっても大事な要素だね。彼女のような成功した女性はさすがに揺るがない自分への自信を持っている。だからこそ、彼女には今のキャリアと生活があるということだよね」と続けた。その通り!!たいていの人は、ライトが明るすぎるけれど、いろいろなことを考えて我慢して言えず、けっきょく半分楽しめずに帰ることになるだろう。
そして、忘れそうになっていたことを思い出す。彼女はただの老人ではない。私にクラス階級など気にしないほどの気さくさで付き合ってくれるから、たまに忘れるのだけれど、彼女は人の下に自分を置かず、自ら事務所を立ち上げた法律家。世界どこでも行きたいところへは行き、ロンドンとカルガリーにそれぞれ2つぐらいアパートを持っている(そのうちいくつかは近頃売ったということだが)。彼女の夫であるCはすてきなボートをギリシャとBC(ブリティシュコロンビア州)に持っていて、年に何度もボートを乗りに出かける。
実はこの日、彼女が当日キャンセルしないか30パーセントぐらいは心配していた。その場合ダーリンを誘うからとダーリンにも伝えておいた。バーでいろいろ話している時、彼女もその傾向を認める。「もし今晩、あなたが私をピックアップして会場までドライブしてくれて、帰りも送ってくれると言ってなかったら、かなり当日キャンセルの可能性は高かったわ」と。わがパートナーのダーリンが、よく当日気が変わるタイプなため、この辺はよくわかっているし、私なりの予備行動と心の準備の仕方は分かっているつもりである。ダーリンを誘ったときは2日おきに思い出させるように確認していた。もちろん、普段はキャンセルしないような人がキャンセルせざるを得なくなった時のショックは大きいけれど、この二人の傾向は心得ているつもりである。
ところで、ショーからの帰宅後、私はすぐに二人のダンサーにメッセージを送った。特にアナスタシアには、自分の連れてきた友人が彼女のイントロダクションを中断させたことに謝罪し、それでも彼女には初めてのフラメンコ経験でとても楽しんでくれたと伝えた。すると翌日アナスタシアからもメッセージが来た。彼女も、あの場で中断は予期しないものだったけれど、Gが楽しんでくれてよかったということと、それからこのおかげで次回からはライティングのセッティングをはじめから気を付けることができるというポジティブなメッセージであった。ほっとする私。ダーリンに話すと、彼もその点は先に気づいていたようで、「それなんだよ」と言わんばかりだった。要するに、Gの指摘はほかの人にもこれからのセッティングにも役にたったというわけだ。これはGに感謝なのではないかと思った。ただタイミングだけはまずかった・・・。
いろんなことを学んだ❤
また一週間💛