本日は、またしてもカルチャーの違いか、個々人の違いか分からないのだけれど、両方あるかなーと思われる事柄について書いてみたい。
我が同僚のケイちゃんはストレスリーブから帰ってきて、緩和スケジュールを組んで徐々に現場に戻ってきた。私達のOT(作業療法士)も、ちょっと特別に長い産休を得て帰ってきて一年になるが、病気を抱えた子供がいるために、現場に来れる日は月に5日という状態のまま時が経っている。
2人とも、Vornelable(日本語だとなんだろう、弱者?)な状況だと自覚し主張するんだなーとおもったことがあった。そしてこれが日本と違うところではないかと思うのだった。
日本人は「助けて」と言えずに自殺してしまう、と誰かが言っていたが、先の2人はお互いにあまり良い中ではないのだけれど、それもそのはず、二人には共通点があるなあと思う。「私はこれこれこういう状況だから、特別手当をもらえて当たり前」という権利を主張できるところだと私は思っている。ほかの従業者に及ぼす迷惑というか、「あなたがこうでなかったら仕事はもっとスムースに行くのに」という他人の目を気にしないというか、気にしてもしょうがないと割り切っているのか、「私はこういう状況にいるから、こういう風にした方が私は仕事がやりやすい」という方向にもっていく。日本人なら、いろいろ迷惑をかけて許してねと、せめてお菓子よりなんかを持ってきそうな状況だろう。
どっちがいい悪いと言っているのでは全くなくて、「すごいなー」と、自分ではできなそうなことをしている人を見て感心し、そして文化の違いを感じているだけなのだけれど。そしてこれは文化だけでなくて、ジェネレーションともいえるかもしれない。二人ともほぼ同い年、30代前半。
先ほど言ったVornelableの人たちを弱者と訳して話を進めるが、弱者になるとそれを社会が認めてくれることがまず一歩前進で、その人たちが強者と同じように生活できるように環境を整えていくというのが社会のロールモデルだろうから、何も弱者であることを恥ずべきではない、というのは頭では理解できる。
ここで一つ思いだす。秋田にその昔、ピラティスの法人関係のお仕事で出張に行かせてもらった時だった。体育館のような会場で50人は軽く参加していたその催しの中で、一人とても肥えた男性がいた。当然そのような体ではあらゆる単純な姿勢や動きが何らかの工夫をしないとできないものである。そこでちょっとアジャストの提案をしに話しかけたところ、「すいません」と男性が謝った。帰り際、彼は私と同僚に「こんな体でいろいろ迷惑をかけてすいません」とまた一言謝って帰って行ったと記憶する。これはやっぱり日本人の特徴だと思う。
どんな状況で何が原因で弱者になろうとも、こちらであまり「自分のせいでごめんね」という人はあまり見ない。そういう人がまったくいないとは言わないが、多くが口に出して言うことはない。
私自身はいい人ではないので、謙虚で申し訳ないと言って小さくなっている人を見たら、それこそ助けてあげようという気にはなるが、そうでなくて弱いことを権利だと主張するような人にはついきつく当たっている気がする。そこでまたよーく考えると、こちらでVornelableという人は、自分自身はだめで弱い人間だとは思っておらず、環境や状況が自分をそうしているだけだ、という認識で、弱者という訳が到底当てはまっていない、心の強い人達ではないかと思った。
また一つ映画を見た。FrenchExitというカナダの映画で、ミッシェル・ファイファー主演のパリとニューヨークの撮影のものだった。なかなか困難な状況に陥った彼女だったが、見事に強気の女でとても変わった女性を演じきった。フィクションでありながら、こんな女性を見るとやっぱりスカッとするものだ。役の中の彼女は、ホームレスのような人たちには弱く、つい見過ごせず、彼女なりの手を差し伸べている。強気でいながら実は弱い面の多い彼女、これこそほんとうは助けてあげたくなってしまう人。スローな映画だけれど、私好みの映画だった。
仕事の二人の話に戻ろう。ケイちゃんとOTではケイちゃんが弱者と言える。それはシステムの中で権力的に弱い立場であると言う事。それなのに、システムとはなかなか権力者に有利になっている。そこは自覚して行動しないと世の中なかなか厳しいな、と改めて思う。
ああ、3月。雪の多い日々がまだちょっと続くようだ。
また一週間💛