旅の最終章:Last Chapter of NY Trip

 本日はNew York最終の夜のことを。

 少し宿のことについてもっと触れておこうと思う。ブルックリンにあるその宿は、これぞNew Yorkの家という建物の中の一階。夏に来ればバックヤードを楽しめたのだろうけれど、この季節だからというのもあるし、あまり時間を取らなかったということもあって、私は朝晩部屋かおふろばを行ったり来たりする以外ほぼ宿にいなかった。

 オーナーはフィルム関係の仕事をしているらしかったけれど、夜のコンストラクション系の仕事もたまにしているようだった。

 宿は、カナダの自分の家の便利さやきれいさと比べたら、なんというか、ホテル未満キャンプ以上とも言える。お風呂のシャワーの水の出は悪く、天井は汚れているし、外からのクラクションや叫び声は聞こえるし、通りに面した窓はゴミ箱を置くところでもあるのであまり窓を開けたくないどころか、セキュリティー的にはかなり一番危険な部屋位置だった。そんなこんなで初日は全く寝れずに宿を変えようか考えたほど衝撃があった。朝になって台所にある掃除用具を勝手に使って、たまっている天井の埃を何とかベッドに落ちないように掃除したり、天井からぶら下がっている素敵なファン(天井と水平に回る扇風機)の上の表面にたまりまくった真っ黒のすすや埃をきれいにふき取り、ベッドの下や床をもう一度掃き掃除、そして拭き掃除を徹底したら、それからはまあ何とか慣れて、最後にはベッドでゆっくりするという余裕も生まれた。

 オーナーが起きてきてちょっとびっくりして、逆に怒られる感じで「なにしたの?」と言われたけれど、後に毎朝トイレ掃除もするし、バスルームも私なりにきれいにしていたのを見て少々潔癖な人というカテゴリーに入れられただけで済んだようだった。ただ友人も言っていたけれど、ニューヨークの空気はとても汚れていて、2,3日ですぐに埃がたまるぐらい、どうしようもないことではある。

 彼の家のあちこちに絵が飾ってあり、多分それを見てなかなかいいと思って決めたのだと記憶するが、私のベッドルームにある壁一面を占める大きな絵が、それはそれは不気味で怖かった。死者とその死者を安らかに迎えてくれる何とかというエンジェルだかセイントだかの絵なのだが、そのエンジェルでさえ顔がなく怖い。怖いから小さく載せるけれど、写真で見るより迫力あって実際には本当に怖い。これはいかんと、花でも買ってきて部屋の気をあげようと、花瓶はあるかと聞いた。

 結局花を買うこともなく過ごしてしまったのだけれど、帰る日の2日前ぐらいに一輪のバラが花瓶に生けられてキッチンにあるのに気付いた。

 ようやく最終日の夜、チェックアウトの話をしたりしながら、心を開いた雑談っぽい話をオーナーとする機会がちょっとあり楽しんだ。ベッドルームのあの大きな絵はとても怖いのだけれど、何に惹かれて飾っているのかとダイレクトに聞くと、「元妻が描いたもので、彼女が僕に引き取ってほしいというので」とのこと。ほかにも絵は飾ってあったので、気分が上がる絵はこちら、でもこれは怖くて仕方ないと正直に打ち明けた。

 そんなこんなで話が盛り上がったが、私はお酒でも一緒に飲んでゆっくり話すというタイプではなかったので、飲み物を勧められたけれど、彼だけが飲んで、はやばやお休みと部屋のドアを閉めそれきりとなる。

 ただその夜、「これ君の部屋にと思って。僕の庭にちょこちょこなるんだ。」と言ってくれたのが、2日前から気になっていた一凛のバラだった。

 なぜかこの夜、ホームレスが窓の外、(つまり入り口の踊り場でゴミ箱が置いてある、私の窓際に直に面している場所)で「ちーこちーこ、なんちゃらかんちゃら」と叫んでやまない。私は幼少のころ「チー」、または「チーたん」と親せきに呼ばれていたし、「しーこ」というのもあだ名の一つで、なんでこの人は私の名前を連呼するんだろうと不思議で、半ばスピリチャルな感じまでしておかしくなった。

 いただいたバラとほんの一夜だったけれど一緒にいれたことと、ささやかの気持ちがうれしく、結局最後良しとなったのだった。

 帰りはやっぱりUberで。家の前まで来てくれた。空港への平日朝の道は何と混んでいたことか。途中オーソドックスのユダヤ人たちが多い場所を走る。そこでは制服を着た高校生の女子が3人とか4人とかで歩いている姿が目立ち、なかなかかわいかった。そしてアメリカで制服の学生を見るのはちょっと新鮮。カナダでは見かけない。

 またしたい、一人旅、友人とのリユニオン。

 また一年、そして一週間💛