Cardiff, Wales

 Bristolからは30分ぐらいだったと思う。うーんもうちょっとしたかな。とにかく、あまり人々が話題にしない忘れられているようなWalesの町、Cardiffへ来た。Wales語というのがあって、ちょうどカナダで英語とフランス語の両方の表示があるように、アルファベットではあるが全く意味の通じない単語が英語と一緒に表示されている(写真下)。

 私たちはすべて歩いて済ませようとしたので、それほど色々見れたわけではないし、かなり限られたことしかできない計画だったためか、ダーリンの感想は「退屈な街」ということだった。私が計画したのでなくて本当に良かった。いや、Cardiffの名誉のために言っておくと、例えばレンタカーするとか、自転車を使うとかしてもっと北とか西とかに行けば、きっともっと魅力は広がったと思っている。

 とにかく着いたのが割と早い時間だったため、とりあえず駅付近を歩いていると、マーケットのサインがあったので入ってみた。いろいろな店があったけれど、食べ物がまことに「食欲をそそらない」感じで、それでも独特の雰囲気というのはあった。特に目についたものと言えば、日本でもあるペットショップというか、昆虫や魚のえさとかが専門のような店舗。写真のような、珍しい白いカエルがびよー--んと泳いでいた。

 ここにはカーディフ城というのがあって、上まで登るにはチケットを買う必要があった。その後、もう一つの建物内も見れることになっていたのだけれど、初めはこのお城を登るだけのチケットだと二人とも思っていたので、私は乗る気だったが、ダーリンにはかなり嫌がられて、「君だけ行ってきなさい。自分は待っているから。」と言われたけれど、私が二人分払うと無理無理連れて行った。

 いやー、ほんとに、もう一つの建物見学も含まれたチケットで本当に良かったとつくづく思った。と思っているのは私だけだったかもしれないけれど。とにかくそのもい一つの建物というのが写真下。

 ここは最終的にCardiffの歴代市長さんに寄付されたという住まいだったようで、図書館とか、ダイニングルームとか、客間やアラブ部屋というような美しい部屋があった。

 このあとは公園に入って歩いて歩いて、市内をぐるぐる回っていたような気がする。公園内にはチューリップや桜のような花、水仙など、季節は春めいていて美しいかった。2人の男の子を連れた、スカーフを頭に巻いたモスリムの女性は、「ママ早くー」とせがむ子供達を無視して、公園に咲く花の撮影に没頭し心打たれていたのを見た。この町は、ものすごーく移民が多く多様な文化の人々が混じっていることに気づくし、かなり古い街で発展が止まっている?かのように感じた。

 電車でこの町に向かう人々を観察しても、ちょっと違うと感じた。けれど、Cardiffへの旅のご賞味は電車の中にあった。ここからは私の想像話になるのだけれど、2組の子連れの親子が目に付いた。

 一組目。母と10歳ぐらいの男の子。母親はそり込みの入ったショートヘヤ―で、ぽっちゃり背の低め。座っている姿勢やしぐさなどに品は感じず(失礼だが)、電車から降りるとすぐにタバコを吸いだす。イギリスの電車のドアは、「開」のボタンを押さないとドアが開かないということをこれまでの旅で覚えた私だったが、彼女が私の前でじっとドアが開くのを待っていたので、私が彼女に教えたぐらいだった。ということは、あまり電車に乗らないのだろう。息子の方はすらっとやせて姿勢がよく、なぜか礼儀を感じる男の子だった。彼はサッカーボールを抱えているだけで他に荷物はない。彼にとっては大好きなお母さんなんだなというのが分かるほど、甘えているというよりは、気にかけている気がした。電車に降りると、何か二人の中で不明な点があったようで、男の子のほうが駅員のほうに駆け寄り何かを訪ねた。それをすぐに母親に伝えて、ちょっと安心したように二人並んでまた歩いて行った。

 二組目。二人用シートの一つに、まだ小さい赤ん坊を背中におんぶして座っている母親。赤ん坊はすっかり眠っている。彼女も疲れているのか、頭を前の座席にもたれて眠っているようだった。結構横幅も縦幅もある女性だったから、狭いシートで赤ん坊が圧迫されていないかとちょっと心配だった。私達が電車から降りようと席を立った時、前のほうから6~8歳ぐらいの男の子が走ってきた。「母さん、母さん、座席が空いたよ、早く早く」という彼の声に目覚め、母親が立ち上がり息子さんの案内のまま前のほうの座席へと移動したようだった。

 たったこれだけなのだけれど、この2組の共通点は、若いのにけなげな母親思いの息子達ということ。子供というのは、どんなことがあっても母親から愛されるためになんでもするというか、愛情を疑わないところがあって、たまに痛いほどけなげだと思う。一組目の子は、母親とサッカーがあれば幸せで、それにしても母親からは想像できないぐらいよく育っているお子さんに見えた。祖父母か親せきか、それとも教師か、誰か母親のほかにも良い影響を与えている人がいるに違いないと思った(ほんとに失礼だけれど勝手な想像ということで)。二組目のほうは、母親と一両も違う席に一人で座って席が空くのを待つには幼すぎると思うのだけれど、頼もしくその役を遂げ、空いた時には一目散に走って母親を呼びに来た、その勇気と行動が愛おしすぎる。

 勝手な想像に勝手にウルウルしながら思い出すのだけれど、私にとってのドキュメンタリードラマだった。

 さて、歩き疲れてお腹もすきすぎ、選んだレンストランはかなり当たりで予約でいっぱいだった。それはタパスの店。

 なんかさっきまで見てたCardiffの雰囲気とはちょっと違って、リピーターの多そうな、味も店員も客も行けている店だった。二人で相当の量を平らげ、これがこの日の昼と夜の両方の食事となった。

 次回はやっとBristol。また一週間💛