その夕飯時、ダーリンの講義を聞く。
ダーリンはわざとアメリカのニュースを夕飯時に見る。World newsと言いながらいかに取るに足らないドメスティックニュースを話題にしているかとか、いかにアメリカの政治とメディアがつながっていて嘘つきか、というようなことを楽しみながら。
講義内容はロシアとウクライナ問題の歴史、アメリカの策略、NATOと他国の立ち位置などに及んだ。昔の、例えばフランスの大統領チャールズ・ド・ゴールはアメリカがなんと言おうと自国の考えを貫いたそうだが、サルコジ大統領ぐらいからか、ものすごくアメリカ派になって、ほかのEUのヘッドたちも全くアメリカの言いなりなんだとダーリン。フランスのあり方の変化の話でちょっと思い出したことがある。以前も触れたことがあると思うが、同じ視点で話したかは忘れたので、改めてまた書くことにした。
短大時代に取った第3か国はフランス語だったのだけれど、ホントにその授業で何を習ったのか覚えてないくらい、私たち生徒の態度が悪くて授業にならないクラスだった。講師をしていたのは、小さくて細くてお上品で、まっすぐの黒髪は肩より長く、前髪はぱっつっとオンザ眉毛、いかにも昔のパリジェンヌを意識したような、でも独特感満載でおしゃれな女性だったと私は思う。声が小さく「ボンジュール」とささやくようなフランス語で授業を続け、大声を張り上げるのはできないと初頭で言っていた。うるさくなったらとにかく静かになるまで窓の外を見て待つ、というような感じ。フランス的な考え方や文化も学んでほしいと、「私はクラス中にものを食べようと、そういうことは気にしません。」と言ったが最後、それを利用して?わざわざアイスクリームを買って食べたり、おやつの時間として使う人が続出。短大でまさかと思うけれど、いつもお菓子を開ける音や食べる音、話し声などでうるさく、授業は中断しっぱなしだった。
それはとにかく、彼女はいかにフランスの独立姿勢がこれからの世の中を変えていくか、もしくはよいロールモデルとなるか、ということを話してくれたことがあった。「世界でも自分の意見を貫いて、NOと言える国は今はフランスだけ」というようなことを言っていたのを覚えている。悲しいかな、そんな彼女の絶賛する国フランスも、今はアメリカよりでNOと言えない国になったわけだ。
それにしても、今思うと、彼女の取った行動というのはデモクラシーではないと一瞬思った。数人はまじめに授業に臨もうとそこにいたのに、その生徒たちを守れなかったからだ。けれど、また考え直してみるとその考えも変わる。意外と彼女は反抗する生徒こそ実はいいものを持っていて、その人たちこそ気付いてほしい、というような野望が無きにしも非ずだったのかもしれない。まじめな生徒たちは、まじめだけではだめで、本当にやる気なら、そのあと意見を言ってくるとか、質問をしに来るとかしないとやっぱり典型的日本の生徒で、常習犯ともいえる。彼女にしたら、そんな生徒たちはただ静かにクラスで座ってやれということをやっているだけで、教えがいのない生徒となるのかもしれない。
反抗していた生徒たちは、それなりに感受性も鋭くて、私から見たら都会的でキラキラしていたグループで、4大に落ちて仕方なくここに入ったとか、ここは本命でなかったというような余裕な生徒たちも多かった。収入のいいバイトをしながらの学生生活で、格好も派手、化粧も派手、卒業後はいい企業に就職するというはっきりとした目標がある人達だった。そんな生徒たちから見たら、何か賛同できない要素がその講師にあったのかもしれない。
もちろん彼女たちは、テスト勉強はばっちりするからクラスをパスする。まじめに座って授業を聞いていたって、テストにパスできなければしょうがない。今から考えても何が大事なのかわからなくなる。フランス語を学ぶことが大事なら、テストにパスすることは最低限になるかもしれない。クラス妨害はほかの生徒の迷惑になるということを学ぶならば、道徳を学ぶことになるのかもしれないけれど、短大ともなればもうその人のチョイスで受けているわけだから、特にそんな道徳など講師のほうからも興味がないとなれば、ハイどうぞと資料を渡して、あとはテストをして評価するまで。
講師の彼女は、フランス語学者としては素晴らしい人だったかもしれないけれど、クラスカリキュラムとか、クラス内容、体を使って教えるということに関しては適任とは言えない人だったのかもしれない。
というわけで、彼女のキャラクターがある意味とても強烈で忘れもしないということと、クラスの内容と言えば、彼女がフランスを「これから世界でも力強く秀でていく国」として強い思いを語っていたことだけが私の記憶に残った。これがなにか私の中で糧になったかどうかはわからない。さらに、こんなに資料があふれているこの現代では、高等学校以上の学校の語学教師というのはどんな工夫をして近代は教えているのだろうという疑問もわきあがった。
まあとにかく、あの時の短大の立ち位置(短大を出れば大企業の秘書やオフィスレイディーとして就職率が高く、それこそ女子の望む道という価値観とか)を考えても(とは言え、私が卒業するその年にバブル崩壊になったわけだが)、教育の変化を考えても、あの講師の思っていたフランスという国の変化を見ても、時代は変わったなあと、思った昨今。
で、肝心のダーリンからのレッスンで覚えた言葉は、Indivisilility of Security (セキュリティーの不可分性)ということだったということだけつけ足しておこう。ダーリンがわざわざ後日テキストで送ってきた。これは覚えないわけにはいかない。…忘れそう。忘れない。
また一週間💛