おしゃれーFashion

 茶色くなったり白くなったりを繰り返すアルバータ州の冬。かっこいいブーツなどを履いて外に出ようもなら、滑って転ぶかブーツが塩素や(道が凍らないようにまかれている)ぐちゃぐちゃのとけた雪でダメージを受けるかのどちらかの日々が、だいたい4月-5月まで続くと思うと、去年セールで買ったロングブーツをまだ一回もはけていない。

 今日は改めて、ここの生活がどれほど垢づきやすいか、ということに触れたい。

 自分のライフスタイル考えると、施設での仕事用として決めている服は、動きやすく汚れてもいい物だし、ピラティスでの服は言うまでもなく運動着。おまけに冒頭で言ったように、外は茶色か白の日々。雪もすっかり解けたという時期になると、強風で埃が舞っているのが目に見えるほど。

 日本のまあまあ都会ならば、公共の乗り物に乗るということがどんな仕事に行くとしてもあったりする。そうするとそのちょっとの時間でも人目を気にするということができる。ここは、ともすると、作業着や制服のままで車にポン、家について部屋着で終わる。買い物もそのついでに済まそうとするから、あらら、どんな格好でも過ごせてしまう。

 これはまたおなじみクライアントGの話。彼女は法律家だから、以前は法廷へ行かなくてはならない時が多かったり、クライアントと食事や何やら出かけたりが多かったから、「服」を着る機会が多かった。ところがペンデミックになってから、本当に「服」を着る機会が減り、まあまあ買い物のモチベーションが下がったのは悪いことではないかもしれないが、それに伴って、いわゆる「つまらなく」なってプチデプレッション気味の時があった。ちょっと同情。

 クリスマスと年始には、ロンドンにある持ちアパートメントで、イギリスのケンブリッジで働いている娘さんと共に家族で過ごしたG。本当はいろいろな国へ行く予定だったけれど、結局ずっとロンドンにいたという。「ロンドンでもね、歩いている人を見ても、おしゃれしている人も少ないし、その必要も感じないのよ。」 うーん、最近のおしゃれがカジュアル系ということもあると思う。

 Gが子供のころ、彼女のお母さまは専業主婦でお父様はお医者さん。昔の女性には(というか今でもそうかもしれないが)ファーのコートというのはとても贅沢で憧れだった。ある日、お母さまがお店でとてもほしそうにミンクコートを見ていたという。Gは「買えば」と子供ながらに言った。「だめだめ、高すぎるわ」と言って、それでも本当に欲しそうだったという。その後、病気になってすぐに亡くなってしまったのだけれど、Gは「もしもそのコートを買っていたら、母は生きている短い時間にちょっとでも楽しんで過ごす時間がよりあったと思ったわ。」という。けれど、自分で働いたお金で買うわけではないので、そこがまたお母さまとしては気が引けたのだろう。

 病床に就くすぐ前だったか、すぐ後だったかちょっと忘れたのだけれど、お父様がお母様に小さなカバンを買ってあげたのだという。ところがそれがプラスチック製だった。お母さまは悲しくなって泣いたのだそうだけれど、Gは「母さん、父さんはわからないだけよ。」となだめた。ほんとに、男性というのは悪気がないのだけれど、そういう女心が分からないのだと思う。

 川沿いを散歩していると、ときどき白髪の女性が一人で、または友人と、ふっと振り返りたくなるようなどこかおしゃれな装いで歩いているのを見る。要するに、おしゃれを意識して暮らしている様子がうかがえるというか、そういうことが好きなんだろうなと思う。

 別に人に見せるためでなくていいと思う。とりあえず、気分をあげるというにはおしゃれというのは有効だと、こんな環境にいても思う。Gにもぜひ持っている服を日常着るよう勧める(なにせハイブランドは普通に持っている人だし)。「ちょっと食料品を買いに行くだけでも好きな服を着たらいいのに。」というと、「えー、そんなのってすごく悲しいわー」と返ってきた。うーん、そうとも言えるけど・・・。多分こういうのはフランス人女性が得意とするところなのではと思う。自分のためにおしゃれを楽しむ生活の基本。ま、フランス女性といってもみんながみんなではないだろうが。

 と、いうわけで、意味があるかないかなんかわからないけれど、ネットショッピングは止まらないから、週一回ぐらいは家の中でおしゃれを心掛けて過ごすしかないと思った。まったく、COVIDの規制が緩んだところで、それほど大きく変わらない生活というのがしょうがない。

 また一週間💛